大井三業地・大森海岸三業地の歴史

 京浜急行本線 大森海岸駅。

 駅を降りて改札を抜けると線路と平行して東京と神奈川を結ぶ大動脈である第一京浜が走っていますが、かつてそのすぐ東側には砂浜が広がり、一帯は戦前まで海苔の養殖が大変盛んな海岸がありました。
 その風光明媚な土地の利を生かし、料亭や置屋が軒を列ねる花街に発展したのは明治時代のこと。
 当時は八幡海岸と呼ばれていた大森海岸に海水浴場が開設され、都心から最も近い海水浴場として鉄道の発達と共に賑わうようになり、ほどなくこの発展に目をつけた資産家が明治26(1893)年5月に八幡橋に隣接する土地に【伊勢源】という料理屋を開店。
 明治27(1894)年にはこの地に鉱泉が湧き出し、その後の日露戦争(1904~1905)の好景気を追い風に【魚栄】、【松浅】、【八幡楼】などの待趣向を凝らした待合や料亭が続々と開店し、やがて芸妓を派遣する置屋も営業を始めました。

 日露戦争後の明治39(1906)年には【海岸芸妓組合】設立の中心となった【鯉家】、明治40(1907)年には【日の出屋】、明治43年には【初鯉家】、明治43(1910)年には【立花家】など、後にこの花街を代表する芸妓屋が次々と営業を開始。
 こうした時代の流れの中で【八幡海岸】は【大森海岸】と呼ばれ、その土地の芸者は【海岸芸者】と呼ばれるようになります。

 

 昭和7(1932)年には大森海岸の地元住民から風儀が乱れるといった声があがり、大森海岸にあった芸妓屋の殆どが東品川3丁目の埋立地に集団で移転。 

 【品川海岸三業株式会社】を組織し、新たに三業地を創設します。

 この品川海岸三業地は大いなる発展を遂げ、東品川の指定地には新たに20軒の待合茶屋が開業。

 最盛期には芸妓屋は46軒、芸者衆は155名が在籍していました。

 しかし、品川海岸三業地は戦争で焼失。

 昭和25(1950)年に戦前の約半分の規模である料亭27軒で復興しますが、オイルショックや交際費の節減などにより昭和32(1957)に年には料亭は16軒、昭和47(1972)年には料亭は2軒まで減少し終焉を迎えます。

 

 大正14(1925)年に増設された平和島駅東側の埋め立て地で、同年12月に最初の芸妓屋が店開きをした新興の花街が大森都新地です。
 明治期から存在していた大井三業地と大森海岸三業地、そして新興の大森都新地に加え、鉱泉で賑わいを見せた森ヶ崎にも花街が誕生しています。
 森ヶ崎には元々芸者は居らず宴会には【お師匠さん】が呼ばれていたようですが、鉱泉界隈に待合風の旅館の発展に合わせ大正11(1922)年5月に芸妓屋組合が組織されます。

 現在では想像し難いのですが大正期には品川海岸、大井、大森海岸、大森都新地、森ヶ崎の他、羽田の穴守稲荷神社周辺にまで花街が広がり、大森海岸三業地は戦前の昭和10 (1935) 年頃から太平洋戦争勃発前の昭和16(1941)年に最盛期を迎え、昭和25~28(1950〜53年)年の朝鮮戦争の好景気もあって大井、大森海岸の花街は再び賑やかさを取り戻します。

 

 当時は大森海岸三業地だけで400名近くの芸者が在籍、大森海岸三業地のに隣接していた大井三業地では最盛期には芸者衆は200名程在籍していたといわれ、現在も第一京浜沿いに鎮座する磐井神社に合祀されている【海豊稲荷神社】の玉垣には、花街を支えた料亭や芸者置屋の名が刻まれています。

 しかし、周辺では海岸の埋め立てが進み、料亭や置屋の数は急激に減少。

 それでも高度成長期の昭和40(1965)年代の大森海岸三業地には200名の芸妓が在籍していたようですが、広大な敷地を誇っていた料亭街は徐々に高層マンションが林立するビル街へと変わり、それを機に芸者衆の数も減少していきます。

 大井三業地の戦後の最盛期は昭和30(1957)年前半頃で、昭和32(1959)年当時は料亭は35軒営業していましたが、昭和47(1972)年には15軒、昭和52(1977)年には12軒にまで減少。

 料亭や芸者衆の減少に伴い大井三業地見番は昭和53(1978)年に閉鎖されましたがその後も置屋は単独で営業を続けますが、昭和56(1981)年に3軒残っていた料亭も昭和60(1985)年代初めには終焉を迎えました。

 しかし、戦前から営業を始めた芸者置屋【由の家(よしのや)】は見番や料亭が消滅した後も営業を続け、現在ではそこから派生した置屋が3軒、合計4軒の置屋が大井・大森海岸地域には存在し、約20名程の芸者衆がその歴史と伝統を繋いでおります。

 

 

参考資料:『東京 花街・粋な街』(街と暮らし社)、『花街 異空間の都市史』(朝日新聞社)ほか

 

※注※

 かつての大井三業地は現在の品川区南大井3丁目界隈に存在し当時は【大井海岸町】という町名だった事や、山の手にある大井町との混同を防ぐために分かりやすく【大井海岸芸者】と称することが御座います。

 また、旧・花街の最寄り駅が京急本線 大森海岸駅だという事や、かつての大森海岸三業地の地元の方々からの要請により【大森海岸芸者】と称することも御座います。